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ワッツ・タワー
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ロサンゼルス,米国
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Watts Tower & Art Center, 1727 E.
107th St., Watt
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オレンジ・カウンティのレイクフォレストに住みはじめて2ヶ月あまり経った、のどかな土曜日の午前中。アパートに付設されたプールで少し泳いだあと、ビーチチェアでのんびりとレイナー・バンハムの『ロサンゼルス――4つの生態系のアーキテクチャー』のページをめくっていた。ロサンゼルスを丘陵地(ハリウッド、ベルエアなど)、大平原、ビーチタウン、フリーウェイという4つの地理文化から成立するものととらえ、それぞれが代表する建造物を紹介しながら都市の歴史をたどるという趣向の本だ。昔の線路図や水路図、主要道路図などが載っているのだが、どの地図にもロサンゼルスの中心として記されているのが、ワッツ・タワーだった。ワッツタワーはロサンゼルスを代表する建築の一つだという。これも何かの縁だろうと思い立ち、さっそく着替えて車に乗り込んだ。
当時住んでいたオレンジ・カウンティは、中流以上の白人が大多数を占める極めて保守的な土地柄だった。多くの日本企業が現地法人を置いているしリトル・サイゴンもあるので、東洋系の人々は数多く見かけるが、黒人はほとんど見かけなかった。そのようなオレンジ・カウンティに暮らしていると、黒人居住率の高いベニスビーチ(映画『アメリカン・ヒストリーX』の舞台)やセントラルに出かけた日には、別の国に紛れ込んだかと思うほどである。
デニス・ホッパー監督の映画『カラーズ 天使の消えた街』に、ワッツ・タワーが登場する。ロスのストリートギャングの抗争――黒人対ヒスパニック――を描いた作品だ。モダン・アートに傾倒するホッパーは、ワッツ・タワーをロスの黒人カルチャーの象徴として描いている。 しかし実際のところ、ワッツ・タワーを建てたのは黒人でもヒスパニックでもない。イタリア移民のサイモン・ロディアだった。彼は職業的な建築家ではなかった。複数の結婚経験がありながらいずれも妻から逃げられた孤独な日雇い工事夫だった。商業的な理由など毛頭もなく、ひたすら体の底から湧いている自発的な創造欲に突き動かされ、建築基準などお構いなしに、たった一人でタワーを築いた。その意味でワッツ・タワーはアウトサイダー・アートであり、エスタブリッシュな白人文化=ロサンゼルスの近代建築に対するアンチテーゼである。 ワッツ・タワーが貧しい黒人やヒスパニックたちの文化の象徴になった理由は、そこにあるのだろう。
1921年頃、サイモン・ロディアは当時ただ同然だったワッツの土地を手に入れた。家の周囲から材料となりそうなガラスの破片やガラクタをかき集め、33年の歳月をかけて、たった一人でこのワッツ・タワーを築いた。まるでフランスのオートリーヴにあるフェルディナント・シュヴァルの理想宮を思わせるような話だ。郵便配達夫のシュヴァルもまた、エジプトや東洋の絵葉書をもとに、奇妙なバロック宮殿を一人で築いた。工事が終わるまで同じ33年かかったというのは奇縁である。 ワッツタワーやサイモン・ロディアについてもっと知りたい方は、以下の書籍をお求めください。
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