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ワッツ・タワー
ロサンゼルス,米国
Watts Tower & Art Center, 1727 E. 107th St., Watt
ワッツ周辺
  ワッツ・タワーを訪ねたのは1997年のことだ。
オレンジ・カウンティのレイクフォレストに住みはじめて2ヶ月あまり経った、のどかな土曜日の午前中。アパートに付設されたプールで少し泳いだあと、ビーチチェアでのんびりとレイナー・バンハムの『ロサンゼルス――4つの生態系のアーキテクチャー』のページをめくっていた。ロサンゼルスを丘陵地(ハリウッド、ベルエアなど)、大平原、ビーチタウン、フリーウェイという4つの地理文化から成立するものととらえ、それぞれが代表する建造物を紹介しながら都市の歴史をたどるという趣向の本だ。昔の線路図や水路図、主要道路図などが載っているのだが、どの地図にもロサンゼルスの中心として記されているのが、ワッツ・タワーだった。ワッツタワーはロサンゼルスを代表する建築の一つだという。これも何かの縁だろうと思い立ち、さっそく着替えて車に乗り込んだ。
ワッツタワー
 インターステイツ5号に入り、途中からインペリアルハイウェイに移ってまっすぐ走り、アラメダ・ストリートを右折すると、ワッツ・タワーが見えてきた。黒人暴動で名高い「セントラル」はアラメダの一つ向こうの通りである。「危険」と隣り合わせの場所だということは承知していたが、あたりは閑静な住宅街で、南カリフォルニアの抜けるような青空のもと、ついついうっかりしていた。うかつにも近くにいた黒人にカメラを向けて「何してるんだ?」と睨みつけられた。ニューヨークで見かける色艶の良い都会的な黒人とは違う、銅のような「青黒い」皮膚の男。危険な気配をぴりぴりと感じ、思わず身体が竦んでしまった。
 当時住んでいたオレンジ・カウンティは、中流以上の白人が大多数を占める極めて保守的な土地柄だった。多くの日本企業が現地法人を置いているしリトル・サイゴンもあるので、東洋系の人々は数多く見かけるが、黒人はほとんど見かけなかった。そのようなオレンジ・カウンティに暮らしていると、黒人居住率の高いベニスビーチ(映画『アメリカン・ヒストリーX』の舞台)やセントラルに出かけた日には、別の国に紛れ込んだかと思うほどである。
ワッツ・アートセンター
 ワッツタワーは当時、補修工事のため囲いがされ、四面にわたって足場に覆われていた。見たところアントニオ・ガウディのサグラダ・ファミリアのミニチュアのようだった。
 デニス・ホッパー監督の映画『カラーズ 天使の消えた街』に、ワッツ・タワーが登場する。ロスのストリートギャングの抗争――黒人対ヒスパニック――を描いた作品だ。モダン・アートに傾倒するホッパーは、ワッツ・タワーをロスの黒人カルチャーの象徴として描いている。
 しかし実際のところ、ワッツ・タワーを建てたのは黒人でもヒスパニックでもない。イタリア移民のサイモン・ロディアだった。彼は職業的な建築家ではなかった。複数の結婚経験がありながらいずれも妻から逃げられた孤独な日雇い工事夫だった。商業的な理由など毛頭もなく、ひたすら体の底から湧いている自発的な創造欲に突き動かされ、建築基準などお構いなしに、たった一人でタワーを築いた。その意味でワッツ・タワーはアウトサイダー・アートであり、エスタブリッシュな白人文化=ロサンゼルスの近代建築に対するアンチテーゼである。
 ワッツ・タワーが貧しい黒人やヒスパニックたちの文化の象徴になった理由は、そこにあるのだろう。


ワッツ近辺の家屋/壁に描かれた基督の顔が…

1921年頃、サイモン・ロディアは当時ただ同然だったワッツの土地を手に入れた。家の周囲から材料となりそうなガラスの破片やガラクタをかき集め、33年の歳月をかけて、たった一人でこのワッツ・タワーを築いた。まるでフランスのオートリーヴにあるフェルディナント・シュヴァルの理想宮を思わせるような話だ。郵便配達夫のシュヴァルもまた、エジプトや東洋の絵葉書をもとに、奇妙なバロック宮殿を一人で築いた。工事が終わるまで同じ33年かかったというのは奇縁である。
 1954年、ロディアは完成したタワーを隣人に譲り渡して立ち去り、二度とワッツに帰らなかった。譲渡された隣人は、近所に住むヨゼフ・モンターヤに1000ドルで売却した。1959年、俳優のニコラス・キングと映画の編集を行っていたウィリアム・カートライトがその地を訪れ、タワーをアート施設として保存しようと考えた。モンターヤに3000ドルで売却してほしいと依頼、契約は即座に成立した。しかし、ロサンゼルス・カウンティは、すでに2年前の1957年2月時点で、タワーは不法建築物だとして取り壊し命令を下した後だった。モンターヤはこれを無視して二人に売ったのである。
 キングとカートライトの呼びかけに応じて、ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムのキュレーターや芸術家、建築家が、取り壊し反対運動に立ち上がった。国際的世論がわき起こり、サイモン・ロディア・タワー委員会が形成された。あくまでも「タワーは十分な地震対策がなされていないので危険だ」と主張するロサンゼルス市と委員会の間で、数度にわたって交渉がおこなわれ、側方強度テストを行うことで合意に至った。テストで十分な強度が確認されたため、取り壊し命令は棄却された。わずかな修復工事を経て、ワッツ・タワーは1960年に公開された。
 しかし、タワーの損傷劣化が進んだため、幾度となく補修工事が行われて現在に至る。足場が取り外されたのは2000年のことである。
 参考文献:RAW VISION #37 (2001年冬)

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