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アール・ブリュット・コレクション
ローザンヌ,スイス
Ave. des Bergieres 11 TEL:6475435
(2番のバスでJomini、3番でBeaulieu降りる)
11:00-13:00 14:00-18:00 月曜休  (最新情報は以下のサイトでご確認ください)
http://www.artbrut.ch
レマン湖(ジュネーヴ湖)
 南側にレマン湖を望む明るい光に満ち溢れた街。神戸や尾道、長崎などを思わせる急坂の多い街。それがローザンヌである。国際オリンピック委員会の本部もこの街にある。
  晩秋の早朝にレマン湖畔を散歩すれば、空気は冴えわたり、東の遠方にモレゾンやモンペルランの山々が見える。岸辺には長い頸をS字形に曲げた純白色のハクチョウや、白い横縞の入った栗毛のマガモが群れをなし、木蔦を絡ませた樹々が織りなす深い林からは、さまざまな種類の鳥たちが、東京では決して耳にすることのない鳴き声で、混声合唱を披露する。
 健康的な美しさを誇るローザンヌは、同時にアウトサイダー・アートの聖地でもある。デュビュッフェがアール・ブリュット作品の保存・維持に負担を感じていた70年代初頭、救いの手を差し伸べたのは当時のローザンヌ市長、アンデレ・シュヴァラだった。75年以来、アール・ブリュット・コレクションは、ローザンヌの旧市街の坂の上にある、シャトゥー・ドゥ・ボーリュー附属の18世紀の建造物に展示されている。ちなみにコレクションが到来する以前から精神病者の芸術性に強い関心を寄せていたアルフレット・バーダーの表現病理学研究センターもローザンヌ近郊にある。スイスというとアルプス登山、スキー、永世中立国、国民皆兵といった健康と剛健のイメージが強いが、アドルフ・ヴェルフリを抱えるベルンやアール・ブリュットがあるローザンヌを思うと、アウトサイダー・アートの宗主国のイメージを添えたくなる。
アール・ブリュット・コレクション
 2001年の11月にここを訪れたときは、吹き抜けのところにはアロイーズの作品が垂れ下がり、1階にはヴェルフリの偏執的なドローイングがびっしり施された家具やロウル・ピジョンの絵画が配置され、2階にはマッジ・ギルの刺繍、シルヴァン・フスコなど、その奥の部屋には特別展示でキヨコ・ラーナーから寄贈を受けた特別展示のヘンリー・ダーガー(この展示は資生堂文化部が資金援助していたと聞く)、3階には確かスロバキア生まれのジャキックのドローイングと木彫(これは巧い!)、西川智之の粘土作品、最上階には最愛なる聖ルサージュ、特別の小部屋にはミシェル・ネジャーの禍々しい人形たちが展示されていた。
 コレクションの来歴についてはデュビュッフェの項の通り。60年以降の経緯は以下の通りである。
    一時アメリカに渡ったコレクションは1962年にパリに戻り、7月にはアールブリュット協会が再結成された。当時は一般公開ではなく関心を持った人たちの要望に応じて見せるだけだった。1967年パリの装飾美術館にて、70名の作家による700点の作品が展示された。デュビュッフェは60年代になるとコレクションの拡充を再開し、寄贈されたものも含めて収集品の数は増大の一途をたどった。(例えば66年には20世紀初頭に有名だった”狂気の美術館”マリー・コレクションの作品が、マリーの未亡人から寄贈された)。
 70年代に入ると、デュビュッフェは自分だけでコレクションを維持する負担に耐えかねて、フランス政府に相談を持ちかけた。当時フランスの文化相はアンドレ・マルローだったが、積極的に関心を示すことはなかった。1971年にローザンヌ市長アンデレ・シュヴァラとの会談が実り、ローザンヌ市がアール・ブリュット・コレクションを引き受けた。作品は1975年までにパリからローザンヌに移送され、1976年2月26日、コレクションは正式にオープンした。初代館長をつとめたのは、以前からデュビュッフェと親交の厚かったミシェル・テヴォーだった。



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