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ナチスが行った精神病患者の安楽死プロジェクト。
1938年末ころ、盲目で片足片手が不自由な幼児の父親が、ヒトラーに直に安楽死を嘆願する手紙を送ったことに端を発する。それは総統官房に届き、官房長のボウラーとヒトラーの侍医の一人カール・ブラントが中心に処置にあたった。その後同様の嘆願書は総統官房が受け国家機密として処理されることとなった。内務省で保健衛生行政を担当する第4局において精神病院行政を担当する大臣顧問のリンデン博士も関わり、第四局にて委員会を組織する。
委員会のメンバーはカール・ブラントの他ヘルムート・ウンガーなど5名。「遺伝性および先天性重症患児の登録に関する帝国委員会」として設立。1939年5月。委員会は総統官房とは無関係のように装い一片の命令書も法律文書も無かった。
その後7月になって第四局長レオナルド・コンティ、党官房長のマルチン・ボルマン、帝国官房長ハンス・ハインリッヒ・ランマーズが7月に召集され、児童のみならず成人障害者をも対象とした安楽死作戦実施に関する会合が開かれ、コンティが責任者となった。 協力が可能な人選が進められ、その中にハイデルベルク大学精神科教授のカール・シュナイダーやゾンネンシュタイン州立精神病院長が含まれていた。具体的な施行は彼らが中心となって検討された。
40年1月初旬、ブランデンブルク州立精神病院でガス室の「試運転」が行われる。これこそはナチスによる「初の」のガス室における殺人となった。(ガス自動車による殺人は39年にポーランドですでに実施されていた。)
グラーフェンエック、ブランデンブルク、ゾンネンシュタイン、ハルトハイムの四施設にガス室が設けられ、安楽死は40年8月にピークに達した。表現主義の建築家兼画家で「11月グルッペ」のメンバーでもあったパウル・ゲッシュがハルトハイムで亡くなったほか、プリンツホルンが収集した絵の作家たちのうち何名かがT4作戦で命を落とした。
参考文献 : 『ナチスもう一つの大罪―「安楽死」とドイツ精神医学 』 小俣和一郎
他にも関係する本として以下のようなものがあります。
『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画 』
ヒュー・グレゴリー ギャラファー(著)
『「生きるに値しない命」とは誰のことか―ナチス安楽死思想の原典を読む
』カール ビンディング(著)
『第三帝国と安楽死―生きるに値しない生命の抹殺 』 エルンスト・クレー著 松下正明 監訳 批評社
『ナチスドイツと聴覚障害者―断種と「安楽死」政策を検証する 』
中西喜久司(著)
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