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アドルフ・ツィーグラー
ブレーメン(独) 1882年生 ― バーデンバーデン(独) 1959年没

 ワイマールとミュンヘンで美術を学んだ後、第一次大戦に出征。帰還して1925年にヒトラーと知り合い、ナチス全国指導部の造形部門担当者となる。ヒトラーの血のつながりのない姪で愛人だったゲーリー・ラウバル(1931年に自殺)の肖像を描いた。
 1933年のナチス政権樹立後には全国造形美術員の評議員となり、副総裁を経て36年12月に総裁に就任する。1937年の『大ドイツ芸術展』では審査委員長をつとめ、同時期に行われた『頽廃芸術展』でも開会の演説を行った。
 ツィーグラーの描く絵は、肉体各部が細かく再現されているが、顔の表情や姿勢は冷たく硬質だった。 女性のVゾーンをことさら緻密に描いたので「ドイツ恥毛の巨匠」「全国恥部係り」と渾名された。(ヒトラーはボッティチェルリの女性像を理想としており、ツィーグラーを「優れた肉体画家で色彩効果が抜群」と称賛する一方で「女体のあるべき姿を彼に教えてやらねば……」と語っている。彼は裸体画を好み、秘書に裸体画が多すぎるのでは?と言われて「兵士は前線から帰ってきたとき、美しいものを見て辛いことを忘れたいものなのだ」と答えたそうだ。)
 ツィーグラーは1943年に国際平和を提唱したためにダッハウの強制収容所送りとなったが、これが幸いして戦争裁判で重罪を免れた。1959年に死亡。

参考文献: 『ヒトラーと退廃芸術』 関楠生 河出書房新社

 

 

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