サイモン・ロディア (Simon Rodia)
リヴォトリ(伊) 1879年頃生 ― マルティネス(米国加州) 1965年没
 1879年2月12日、イタリア南部のカンパーニュ地方のリヴォトリに生まれる。家族は彼を聖職に就かせようとしたが、15歳になる前、兄を頼って渡米。
 ペンシルバニアの炭坑や採石場、鉄道工事現場で低賃金労働に就く。兄が鉱山事故で他界した後シアトルに移り、1902年、ルチアと結婚。息子二人と娘一人をもうけるが、娘はその後死亡。現オークランドに当時あったイタリア系移民者コミュニティに引っ越す。道路工事夫やセメント工として働いたが、1908年のサンフランシスコ大地震の後は市の復旧工事にたずさわる。なお、彼自身の過度の飲酒癖と妻の不貞により1912年に離婚。
 1917年にテキサス州エル・パソでベニータと結婚し、1919年に妻とともにカリフォルニアのロングビーチに移るが、再び離婚して次はメキシコ人のカルメンと結婚する。しかし、彼女もすぐに彼のもとを去る。
 カルメンとの離婚ののち、ロディアは改心して大変まじめになり、芸術活動に力を注ぎはじめる。
 1921年頃ワッツに土地を購入し、21年〜23年の間にワッツタワーの構築を開始。工事を始めてからは日銭を稼ぐ仕事以外の時間をすべて費やして毎日のように作業を行う。家の周囲からガラスの破片やガラクタを拾ってきては建造物の装飾に利用し、ビーチまで行って貝殻や岩石を拾ってくることもあった。陶器の破片、タイル、皿、鏡など様々なものが装飾に使われたが、なかでも7upの緑色の瓶がお気に入りだったという。
 1940年代のなかばまで拡張工事を続けたあと、次の10年間で装飾や修復を行う。地元の子供は工事に励む彼を「気違い爺」と呼んで石を投げつけた。
 1954年、ロディアはわずかな荷物をまとめ、出来上がったタワーを隣人に譲渡してワッツからマルチネスに移り住む。彼は「ワッツタワーにはもう興味はない」と語り、2度とワッツの地を踏むことはなかった。
 その後ロディアは1965年7月16日、マルチネスで他界する。
 ワッツに程近いサウス・セントラルで黒人暴動が起こったのは、ロディアが亡くなった翌月の8月のことである。

 参考文献:RAW VISION #37 (2001年冬)
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The Wonderful Towers of Watts The Wonderful Towers of Watts
Patricia Zelver Frane Lessac

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Simon Rodia and His Towers in Watts: An Introduction and a Bibliography/Architecture Series/a 1674 (Architecture Series--Bibliography, a 1674) Simon Rodia and His Towers in Watts: An Introduction and a Bibliography/Architecture Series/a 1674 (Architecture Series--Bibliography, a 1674)
Daniel Franklin Ward

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