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ウィーン大学のユリウス・フォン・シュロッサーのもとで美術史を学ぶ。(ヴァールブルグ研究所のエルンスト・H・ゴンブリッチも同様) 学生時代はルネサンス期の宝石細工の研究を行っていたが、当時カメオの収集を趣味としていたジグムント・フロイトと知り合ったことから精神分析に深い関心を抱くようになる。(二人を結びつけたのは、フロイトのホームドクターであったオスカー・リーの娘、マリアンヌ。その後クリスとマリアンヌは結婚)。大学を卒業する前から精神分析医の訓練を開始する。
大学卒業後はウィーン美術史美術館でキュレーターとして収蔵品の総合カタログ作成に携わる一方、マリアンヌを通じてフロイトの個人的サークルと交流し、後にはフロイト派の精神分析医として診療活動も行った。20年〜30年代には彼のような異質な分野から精神分析学に転向する者が少なくなかった。
1929年、ルネサンス期の宝石細工研究分野の基本体系をまとめた書物を刊行。32年には精神分析と美術史という二つの関心分野を結びつけた最初の著作として、オーストリアのバロック期の彫刻家、フランツ・メッサーシュミットに関する論文を発表する。(この中で彼は、メッサーシュミットが重い精神疾患を患っていることを証明する記録を発見したことを綴っている) こうして彼は芸術家の伝記に共通して見られる定型的な逸話パターン、モチーフの分析を開始。1934年、若い研究者のオットー・クルツと共著でDie
Legende vom Kunstler: Ein geschichitlicher Versuch(邦訳『芸術家伝説』)を出版する。彼は雑誌『イマーゴ』の責任編集も行っており、35年には後年の著作『芸術の精神分析的研究』(1952)のベースとなる諸論文を本誌に掲載している。(36年、トーマス・マンはフロイトの80歳の誕生日に際して行った「フロイトと未来」という講演でこの論文に賛辞を呈している。)
その後の彼はイギリスへの滞在のあと、ニューヨークに移住。精神分析学/清新病跡学の指導的研究者として活動を続け、1957年同地で他界する。
参考文献:『芸術家伝説 』(エルンスト・クリス/オットー・クルツ著 大西広/越川倫明/児島薫/村上博哉 訳 ぺりかん社)のE・H・ゴンブリッチによる序、及び大西広による訳者追記。
『芸術の精神分析的研究
(1976年) 』 馬場
礼子 (翻訳) 岩崎学術出版社 (1976/11)
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