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【略歴】
1928年12月15日、ウィーンに生まれる。(本名フリードリッヒ・シュトーヴァッサー) 1歳で父と死別。1943年には母方の親戚のユダヤ人69人(祖母を含む)が収容所に送られ殺害される。
1948年、高校卒業後、11月から12月にかけてウィーンの美術アカデミーに通う。翌年より広く旅行を開始。シチリア島でルネ・ブロウと親交を結び、彼についてパリに行く。フンデルトヴァッサーを名乗り1年ほどパリに滞在した後、モロッコ、チュニジアを彷徨。1951年9月にウィーンに戻りアート・クラブのメンバーとなる。
1953年、映画『狂気のイメージ』を観て強い衝撃をおぼえ、最初の渦巻きを描く。1957年、以前より考察していた超オートマチズム理論を発展させ、『視覚の文法』を発表。
1959年、エルンスト・フックスやアルヌルフ・ライナーとともに、ピントラリウム(Pintorarium=芸術創造アカデミー)を設立。
1961年、日本を訪問し、東京、奈良、北海道に滞在して絵を描き、東京画廊で展示会。
1968年、ミュンヘンとウィーンで非人間的な建築に抗議して、「第三の皮膚」(建築を意味する)を返せ、という演説を裸体になって行う。さらに記者会見で「アドルフ・ロースよさらば」なる宣言を読む。
1971年〜79年略。
1980年、ウィーン市の委託でレーヴェン通りとケーゲル通りの角地に建築予定の公営住宅の模型をつくる。(83年から着工の運びとなる。)
その後も世界各地を巡り、切手や建築設計を手がけるかたわら、環境保護を訴える運動を続ける。
2001年2月、ニュージーランド沖の船内で死亡。
フンデルトヴァッサーの設計した建築は数多くある。ウィーン市内のゴミ焼却場もその一つ。ウィーンから130キロ南下したところにあるブルマウ温泉リゾートは、フンデルトヴァッサーの建築理念である「大地建築」を実現させたものの一つである。(http://www.rogner.com/evo/rogner)
日本においては大阪市環境事業局、舞洲工場が彼の設計で有名。
フンデルトヴァッサーをもっと知りたい方は、以下の書籍をお読みください。
『フンデルトヴァッサー』 フンデルトヴァッサー著
『フンデルトヴァッサー 5枚の皮膚を持った画家王』 ピエール
レスタニー著
『フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー全版画作品
1951‐1986年』
『フンデルトヴァッサー』 ハリー
ランド著
『フンデルトヴァッサー建築―自然と調和する人間味あふれる建築をめざして』 タッシェン・ジャパン著
『フンデルトヴァッサー クンストハウスウィーン』
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