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フィンセント・ファン・ゴッホ (Vincent van Gogh)
フロート・ズンデルト(蘭) 1853年生 ― オーヴェル・シュル・オワーズ(仏) 1890年没

 【略年譜】
1853年3月30日、オランダ南部のズンデルトに牧師の子として生まれる。ヤスパースの記述によると「彼は孤独に傾き、同時に愛情、共同生活などに対する憧憬に満ちていた」「彼は周囲に殆ど適応できず、何等の目的ももっていないように見え、しかも宗教的な感情によって深く活気付けられていた」
1869年(16歳)、伯父の経営する美術商、グーピル商会に就職。ハーグ支店に勤務。
1872年(19歳)、兄弟のなかで唯一気の合った4歳年下の弟テオと文通を開始する。
1873年(20歳)、ロンドンに駐在中、下宿先の娘に恋情を抱き失恋。
1875年、グーピル商会パリ本店に転勤。

1876年、勤務態度の悪化により、グーピル商会を解雇される。イギリスで私立学校学務補助の職を得る。
1877年、オランダ、ドルトレフトの書店に就職するが4ヶ月で退職。神学をこころざす。
1878年、ブリュッセルの伝道師養成所に入学するが3ヶ月しても資格を得られず。テオとの書簡第2巻によると「少なくとも神学的問題に関しては、言語に絶する詐欺的事業、パリサイ主義的刑務所」と考える。ベルギーのフランス国境に近いボリナージュの炭鉱地帯へ行き、臨時説教師になる。
1879年、献身的に仕事に励むが、衣服をすべて貧しい鉱夫に与えて裸同然で寝るなどしたことが奇行ととらえられ、伝道師協会から正式採用されず。
1880年8月、テオへの書簡で画家を目指す決意を伝える。テオによる仕送りが始まる。10月からブリュッセルのアカデミーに通学。アントン・ラッパルトと知り合う。
1881年4月、エッテンの両親の家に戻る。従姉で未亡人のケーに求愛し、失恋。12月、ハーグに移り住む。
1882年1月より子連れで妊娠中の娼婦クリスティーヌ(シーン)と同棲。6月、淋病にかかり入院。
1883年9月、クリスティーヌ と別れハーグを去る。11月より家族が前年より暮らすニューネンに移る。
1884年、農民画家をこころざす。テオに支援の見返りとして絵画を送り始める。近所の年上の女性、マーゴットと恋愛するも、彼女の家族に反対される。マーゴット自殺未遂。
1885年3月、父親が脳卒中で急逝。12月頃よりテオへの書簡に、絶えず身体の不調に関することが記されるようになる(ヤスパース)。
1886年、1月よりアントワープのアカデミーに入学するが教師と対立。浮世絵に関心を抱く。 3月よりパリに移り住み、テオのアパートに同居。ロートレックやベルナールなどと交遊する。
1887年3月、ゴーギャン、ベルナールらとともに「ル・タンブラン」で浮世絵展を開く。11月、「プチ・ブールヴァールの印象主義者たち」展を企画。
1888年、2月より南仏アルルに移り住む。なお、ゴッホはテオへの書簡に、アルルの景色を日本のようだと記している。彼の芸術が真の開花を遂げたのは、アルル時代の2年半だといわれる。彼はその地で、燃え立つような色彩と偏執的なまでに入念な筆触を特徴とした彼独自の画風を完成させた。書簡において「此処では物の見方が違う、日本人の見方で物が見えるのだ、色彩についても全然違った感じがする」(ヤスパース)。
 テオを通じてゴーギャンに共同アトリエを呼びかける。10月、書簡に「私はエミール・オウテルスの画いたフーゴーファン・デル・ゴエスのように気が狂いかけている。(中略)私は自分の病気が追跡妄想だとは思わない。私が昂奮した時はいつも永遠なるもの及び永遠なる生命のことばかり考えているのだから。とにかく私は自分の精神力を充分信頼できない」と記す(ヤスパース)。ヤスパースは、ゴッホの障害過程は恐らく87年暮から88年初頭にかけて始まり、88年春には「病的な状態にあった」と見ている。
10月23日、ゴーギャンがアルルに赴く。12月23日、ゴーギャンとの激しい口論の末、自分の左耳の一部を切り落とし、アルル町立病院に入院。
1889年1月、退院。1月末の書簡に「一度脳が壊れて、また元通りになれるとは思わなかった」「確かに、われわれは皆芸術家特有の狂気を持っている、私もそれに骨の髄までやられたことを否定するわけではない」(ヤスパース)。2月に発作。アルル住民が彼の監禁を要求し、再入院。3月、シニャックが見舞いに来る。5月、自ら決意してサン・レミ精神病院に入院。翌月から戸外制作を許可される。8月、激しい発作に繰り返し襲われる。「私がゾラやゴンクール兄弟の芸術に感激し得る近代思想を持ちながら、迷信的な色彩の発作に襲われ、気の狂った宗教的観念が浮かんできたのを不思議に思う」(ヤスパース)。9月、第5回アンデパンダン展に出品。ブリュッセルの20人展に出品を招待される。
1890年、オーヴェル・シュル・オワーズに移るが、7月27日にピストル自殺をする。アントナン・アルトーは、オーヴェル・シュル・オワーズで最後に彼を診たガッシェ医師を、ゴッホを自殺に追い込んだ者としてひどく非難している。なお、弟テオも同年10月より精神錯乱をきたし、翌年1月にユトレヒトの病院で亡くなる。

 ※『ゴッホ 自画像の告白』木下長宏(編)、 『もっと知りたいゴッホ』圀府寺 司(著)を参考とする。
 文中(ヤスパース)は、『ストリンドベルクとファン・ゴッホ』 カール・ヤスパース(著) 村上仁(訳)をあらわす。



 弟テオ宛ての書簡411によると、ゴッホの座右の銘は、ヴィクトル・ユーゴーの「さまざまに宗教は移ろい行くが、神は変わらぬ」だった。
 また、書簡542(1888年9月)で日本人について以下のように語っている。「…どうかね、まるで自身が花であるかのように、自然のなかに生きる、こんなに単純なこれらの日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか」(『もっと知りたいゴッホ』圀府寺 司著より)

『靴』(1886)
  哲学者のマルティン・ハイデガーは、1950年『杣径』所収の論文「芸術作品の根源」で、ゴッホの《靴》を例に取り、芸術の本質を、人間の、ではなく、真理(アレーティア)の自己運動としてとらえる。
「ファン・ゴッホの絵画は、道具、つまり一足の農作業用靴が真理において(本当のところ)何であるかを告げている。この存在するものは、その存在することが隠れていないということへと歩み出る。(中略)芸術の本質は、存在するものの真理が自分を作品の内へと 据えること、といえよう」(『芸術作品の根源』関口浩訳より)
 なお、ハイデガーのゴッホ評に対して、美術史家のメイヤー・シャピロが事実誤認を暴いて反論を示したが、これに対して、ジャック・デリダが『絵画における真理』(1978)で反論を加えている。



 ゴッホは狂気に苛まれた芸術家として、アウトサイダー・アートの画家たちと共通点をもつため、彼の芸術を病跡学的に研究するアプローチがなされている。(詳しくは『真実のゴッホ―ある精神科医の考察』を読んでください)  
 これには、若い頃に精神医学を修めた哲学者ヤスパースの影響が大きい。ヤスパースは『ストリンドベリとファン・ゴッホ』で、次のように語っている。

「一九一二年のケルンにおける展覧会で、私は、ゴッホのすぐれた作品のまわりに、全ヨーロッパからの千篇一律な表現主義の芸術を見た時、幾度か次のような感情に襲われたのである。即ち、狂人たらんとして、しかも、余りにも健康であるこれら多くの人達の間で、ヴァン・ゴッホこそ、高邁なる、唯一の、そしてみずからの意志に反しての (狂人) であるのではないかという感慨に。われわれが高い知的な文化の媒体にかこまれて、そして、われわれに固有な、果てしない明確性への意志と、誠実さへの義務、そして、それにふさわしい現実主義の媒体の中で、もし信ずるとすれば、われわれは、この解体する深淵の純正さと、この神的意識を、このような精神病者においてのみ信ずるよりほかないのではないだろうか」

 彼は同書で、1888年初めに顕著になるゴッホの独特の技巧について次のように語る。
「画面は幾何学的に規則正しい、しかし極めて様々な形に分解される。線や半円のみならず、渦巻きや螺旋、アラビヤ数字の3や6を思わせる形、角形等が一つの役割を演ずるようになる。同様の形態の繰り返しと、予期し得ない形態の変化とが同時に見られる。線は平行にだけではなく、放射線状にまた曲線状に引かれることによって種々の効果をあげる。またこれらの形を描く筆勢が作品に気味の悪い昂奮を呼び起こす。風景の地面は生きているようであり、到る所に波が上下しているように見え、樹木は炎の如く、すべては旋転し、空は揺らぎ燃え、色彩は明るく輝く」

「最後の数ヶ月の絵のあるものは、以前の生き生きした明快なものに比して、色彩が粗雑になり、けばけばしくなったように見える。以前は遠近法的な誤りや描き損ないは見られなかったが、最後にはそうしたものが増えて来る。昂奮が熟練せる統制力を弛緩させたように思える。線や曲線の様式は粗大になり、画法も乱暴になる。私は穀物畑とオーヴェルの家の画をその例として想起する」

 なお、ヤスパースはゴッホの精神病を分裂病(統合失調症)と見ているが、この見解は現在、多くの精神科医によって否定されている。



  【参考文献】
絵画と現代思想 』酒井健(著)新書館

ストリンドベルクとゴッホ (1952年) 』 カール・ヤスパース(著) 創元社 (1952)
 ヤスパースが、ストリンドベルク、スウェーデンボルク、ヘルダーリン、ゴッホについて精神病跡学的に分析した本。ゴッホのテオへの書簡から数多くの文章を引用しており、ゴッホがいかに自分の精神の病と向き合ったかが分かります。

『ファン・ゴッホの手紙』

ゴッホ 自画像の告白 (ART&WORDS) 』 ヴィンセント・ファン・ゴッホ(画・文) 木下長宏(編) 二玄社

もっと知りたいゴッホ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) 』 圀府寺司(著) 東京美術

 ゴッホについて書かれた本は山ほどあります。こちらから検索すると便利です。

『ゴッホ―ほのおの画家』式場 隆三郎(著) 
精神科医の式場隆三郎(1898-1965)は、日本におけるゴッホ研究の第1人者です。

『ゴッホ』 坂崎乙郎(著)

『ヴァン・ゴッホ』アントナン アルトー (著), 粟津 則雄 (翻訳)

『真実のゴッホ―ある精神科医の考察』 マンフレ−ト・イン・デア・ベ−ク(著) 徳田良仁(訳)

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