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ガストン・フェルディエール (Gaston Ferdiere)
1907年生 ― 1990年没

 リヨンで法医学と精神医学を学んだ後、1911年にパリに出てサン・タンヌ病院で働きはじめる。
 精神病患者の美術コレクションを持っていた同僚のエルンスト・ホロヴィッツとともにハンス・プリンツホルンの著書について早くから知っており、1934年にはインターンの先輩であったジャック・ラカンや『芸術と狂気』の著者ジャン・ヴァンション、ジグムント・フロイトの翻訳をしていたマリー・ボナパルト王妃らと知り合いになる。(当時サン・タンヌの医師たちは患者に対して壁画の制作を奨励していた。)
 ブルトンとマルセル・デュシャンは36年or37年にフェルディエールと昼食をともにしており、シュルレアリズムの作家たちは彼の臨床精神医学の講義を聴講した。 フェルディエールは民族学にも興味を抱いており、ミシェル・レリスやロジェ・カイヨワらとともにソルボンヌでジョルジュ・バタイユが主宰していたコレージュ・ド・ソシオロジーの集まりにも参加し、「精神病者の美術のための「美術館研究所」と「施療院の文明」の研究という考え方をジャック・ヴィエ博士と一緒に練り上げた。しかし彼らの活動は第2次世界大戦によって中断される。
 1941年、南仏ロデーズの精神病院で職に就く。当時ここはレジスタンス網の一部に組み入れられていた。1943年1月、ロベール・デスノスのたつての願いにより栄養失調で生死の境をさまよっていたアルトーがロデーズに収容された。最新の治療法に関心の高いフェルディエールはしばしばアルトーに対して電気ショック療法を施す。
 パリのレトリストの指導者であるイジドール・イズーは68年の5月革命に参加した後フェルディエールの患者となる。彼は1970年に仲間のモーリス・ルメトールと『精神科医に虐待されるアントナン・アルトー』を著し、フェルディエールを徹底的に批判した。

参考文献: 『アントナン・アルトー伝―打撃と破砕』 スティーヴン・バーバー著

  

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