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ジャン・デュビュッフェ (Jean Dubuffet)
1901年生 ― 1985年没
2001年秋のポンピドゥー美術館における『デュビュッフェ回顧展』にて撮影。

  1901年、裕福なワイン商の息子としてル・アーブルに生まれる。1908年に入学したル・アーブルのリセの同期生にはジョルジュ・ランブールやレイモン・クノーなど、その後シュルレアリスムの周辺で活躍する人々がいた。
 1918年にパリのアカデミー・ジュリアンに入学するが、学校教育に満足できず自主退学。絵画を制作するかたわら文学、言語、音楽を独力で学ぶ。
 以前より「既成文化」に毒されていない精神障害者による造形作品に関心を抱いていた彼は1922年頃、スイスの友人ピエール・ブドリーを通じて プリンツホルンの『精神障害者の芸術性』を入手。
 1924年、あらゆる文化的・芸術的価値に疑念を感じ、絵画を捨てて南米ブエノス・アイレスに渡って集中暖房装置の仕事をするが、翌年にはル・アーブルに舞い戻り家業を手伝う。30年にワイン卸業の仕事で大成功を収めたことで、33年に久しぶりに絵筆を握り、美術に専念しようと思って事業を売却する。しかし37年には再び絵画を放棄してワイン卸業に戻る。
 1939年から40年にかけて兵役についた後パリに戻ると、三たび芸術家として生きる意志が湧き上がるとともに、精神障害者の芸術に対する関心がここにきてあらためて高まった。44年にはドイツ占領下のパリで、地下雑誌として名高い『レ・レトル・フランセーズ』の編集長をつとめる一方、
45年9月にロデーズの精神病院を訪れてアルトーと会見し、フェルディエールからは患者の造形作品を保存するいくつかの精神病院を紹介してもらう。同年11月にガリマール社の編集者ジャン・ポーランとともにスイスを旅行、ヴァルダウ精神病院を訪ねてヴェルフリの作品を、ジメルでアロイーズの作品を、ミュンジンゲンでアントン・ミュラーの作品を見出す。この頃よりアール・ブリュットという言葉を使いはじめている。48年にはアンドレ・ブルトンやジャン・ポーラン、ミシェル・タピエとともにアール・ブリュット協会(カンパーニュ・ドゥ・ラールブリュット)を設立し、翌年ドロワン・ギャラリーにて「文化的芸術よりも、生の芸術を」展示会を開催。
 しかし、財政難やブルトンとの仲たがいによりアール・ブリュット協会は解散。コレクションはデュビュッフェの依頼で、アルフォンソ・オッソリオの住む米国ロングアイランドに渡る。その後8年間、デュビュッフェは作品の維持に頭を悩ませることなく自分の作品づくりに没頭する。
  (To be continued)



 デュビュッフェ協会のサイト:http://www.dubuffetfondation.com/ 


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