オットー・ディックス
(Otto Dix)
ウンテルムハウス(独) 1891年生 ― ジンゲン 1969年没

【略歴】
 ドレスデンの装飾美術学校を卒業した後、第1次世界大戦で機関銃部隊長として従軍。戦後はドレスデンの美術アカデミーで美術の道に戻り、1920年に代表作『マッチ売り』を制作。20年代は新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)の画家として活躍したが、23年には油彩画『鏡の中の少女』が風紀上の罪で裁判沙汰になっている。
 1927年にドレスデンの美術学校の教授に就任、31年にはプロイセン美術アカデミー会員となったが、33年にナチスが政権を掌握したことにより、両方とも辞任に追いやられる。
 1934年にはドイツ国内で彼の展覧会が禁止され、36年に南ドイツのボーデン湖畔の町、ヘメンホーフェンに移住。
 ドイツ国内の美術館にあったディックスの作品260点が押収され、そのうち26点が1937年の『頽廃美術展』に出品される。パンフレットには「描写のバーバリズム、形態と色彩に対する感覚の昂進的衰弱、技法の基礎に対する意識的な軽視……」などと紹介された。
 1938年にはハーバート・リードを中心としたモダンアートの擁護者が、ロンドンのバーリントン・ギャラリーズで『頽廃美術展』に対抗する『20世紀ドイツ美術展』を開催。ディックスの作品が展示された。
 1939年、ヒトラー暗殺未遂事件で犯行に加担したとして知識人が一斉検挙されたが、彼はこの際にドレスデンの警察に1週間ほど拘禁された。
 1945年、強制徴兵に駆り出されるが、コルマールでフランス軍に拿捕される。
 戦後、西ドイツのアカデミー会員に復帰、ヘメンホーフェンで亡くなるまで絵を描き続ける。

 参考文献: 『芸術の危機──ヒトラーと頽廃美術』

 ディックスについて詳しく知りたい方は以下の本を読むと良いでしょう。

 『オットー・ディックス』 ディートリヒ シューベルト(著) パルコ出版

 ”Otto Dix Der Krieg/the War” Annette Becker  (English)
 ”Otto Dix: 1891-1969” Keith Hartley  (English)

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