リチャード・ダッド (Richard Dadd)
1817年生 ― 1886年没
『妖精の樵の神業』

  リチャード・ダッドはいわゆるアウトサイダーアートの作家ではない。正式な美術教育を受けているし、病院に収容された後に描いた作品も、後に見るアウトサイダーアートのような過激な表現主義的絵画ではない。とはいえ、一部の作品に狂気の反映と思しき偏執的な特徴が見られることなどから、藝術と狂気の関係史を語る上で欠かせない人物のひとりであることは確かである。

【略歴】
 1817年、イギリスのケント州チェイサムに生まれる。父親は薬剤師だった。1837年から42年までロイヤルアカデミー美術学校に通う。1841年に『眠るタイタニア』、42年に『テンペスト』の挿絵として『黄なる砂地に降り立ちて』(妖精エリアルのセリフより)を展覧会に出品。当時、イギリスではシェイクスピアの戯曲、とくに『真夏の夜の夢』と『テンペスト』が流行し、それらに登場する妖精の絵が頻繁に描かれており、彼もその流れを踏襲して精霊の絵を好んで描く。
  42年に卒業すると、トーマス・フィリップ卿とヨーロッパ各地と中東を長期旅行に出かけた。当時、イギリスの裕福な若者は知り合いの貴族とともにヨーロッパ各地を遊学するのが流行し、グランドツアーと呼ばれた。神秘的な遺跡や光景を目にして過度に昂揚したせいか、彼は次第に精神に変調をきたし始める。
 翌1843年に帰国した彼は、ウェストミンスターの国会議事堂の装飾のコンペに応募するがあえなく落選。その夏、 奇妙な言動が目立つ彼は父親の勧めで精神科医に通院を開始する。8月28日、一緒に公園を散歩していた父親を悪魔の化身だと思い込んで殺害、ダッドはその後すぐにフランスに逃亡したが、フォンテーヌブローの乗合馬車で見知らぬ人を刺して逮捕された。フランスの収容所に数ヶ月拘留された後、翌1844年にイギリスに送還され、ベツレム病院の精神病棟に入院。「自分はエジプトの冥府神オシリスである」と名乗るなど、度重なる妄想癖と幻覚・幻聴の症状から、彼は今で言う統合失調症(スキゾフラニア)であったと見られている。
 リチャード・ダッドは入院後、1845年頃から再び絵を描き始める。画材は最初は家族が仕送りしたものと考えられるが、後にエドワード・トーマス・モンローとアレキサンダー・モリソンというふたりの医師がダッドの絵画への復帰を支援した。新聞などにも取り上げられており、当時のイギリスでは「狂気のアート」に大きな関心が寄せられたことが想像できる。
 1852年に28歳の若い医師、チャールズ・フッドが着任すると、ダッドは本格的に絵に打ち込み始めた。フッドは藝術に関心が高く、患者たちに意識的に絵を描くよう勧めていた。彼はスタッフとして『パンチ誌』などに挿絵を描くなどの美術活動をしていたジョージ・ヘンリー・ヘイドンを雇った。ヘイドンは弟のサミュエル・B・ヘイドンとともに多くの画家たちと交友関係があった。
 1853年、病院のスタッフをモデルにしたと思しき『ある若者の肖像』を描く。この絵でダッドは中心に置いた人物よりも背景のほうを遥かに念入りに描写し、曲がりくねった枝と異様に巨大な葉を偏執的な筆致で描いている。ほかにも56年までの間に「情念を図解するスケッチ」33枚を描いている。
  1854年から58年にかけて『諍い、オベロンとタイタニア』を描き、55年から64年にかけて大作『妖精の樵の神業』を制作。『妖精の樵の神業』は、ダッドと仲の良かったヘイドンに捧げられている。上掲の画像では分かりにくいが、中心やや下に配された樵(きこり)が斧を振りかざした先に樹木はない。狙いからはわずかに外れているように見えるものの、前のほうに樹木の代わりにはげ頭の年老いた小人がしゃがんでおり、美術評論家のマリオ・プラーツは『ペルセウスとメドゥーサ』所収の「過剰な19世紀」という文章の中で、これをダッドが殺した父親ではないかと語っている。それにしても、妖精めいた人物や花や植物や得体の知れぬ球体がびっしりと空間を埋め尽くす画面は、ダッドの精神の仄暗い部分を覗いたような気にさせる。しかし、一方でほかのアウトサイダーアートの諸作品に比べると、あまりにも「意識」が行き渡っているようにも思う。統合失調症は最初の症状が極端に激しく、その後は小康状態を続けることが多いというので、彼がこれを描いていたとき正気だったとしてもなんら不思議はない。
 1864年に新しいブロードムーア病院に移送された後はあまり絵を描かなかったようだ。1875年に『ウィリアム・オレンジ博士の肖像』を制作しているが、これは狂気の片鱗を感じさせない絵である。その後、彼は1886年に死亡した。

【参考文献】
 『見ることの逸楽』 谷川渥(著)

 リチャード・ダッドについてもっと知りたい方は、他にも以下の作品を読むと良いでしょう。

 『リチャード・ダッド』小柳 玲子 

Richard Dadd in Bedlam and Other Stories Richard Dadd in Bedlam and Other Stories
Alan Wall
Secker & Warburg 1999-01-07
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The World of Richard Dadd The World of Richard Dadd
Michael Mott
2005-07-31
by G-Tools

 リチャード・ダッドに関する最新の本です。
0224060287 Biography of Richard Dadd
Patricia Allderidge
Jonathan Cape 2006-12-28

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