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わが最愛のオギュスタン・ルサージュと同郷で年齢も1歳違い。さらに聖性にあふれたシンメトリックな絵を描いたところも共通している。ルサージュの聖性を醸し出す緻密さという域にまで至っていないのだが、中には興味深い作品もある。
【略歴】
1875年、パ・ド・カレ県に生まれる。(霊媒画家のルサージュは1年後同じパ・ド・カレ県内に生まれている。) 子供のころ眼病を患い2回にわたって手術を受ける。初等教育を終えたあと、鉛・亜鉛工の技術、及び音楽を習った。25歳になった頃には60人の楽隊からなる「ドゥールジュ諸鉱山によるトランペットおよびフレンチホルン協会」を主宰し、自ら作曲を手掛けた。
鉛・亜鉛工をして生計を立てていたところ、1931年前後より磁気治療師としての才能に気づき、何人もの患者を手かざしによって癒して評判を得る。謝礼金を受け取らなかったため訴訟問題には発展しなかった。
1938年頃、譜面を写している最中に突如神がかり状態となり、次から次へと色鉛筆で寺院や壷や星の素描を続けた。クレパンによるとこれまで一度として絵を習ったこともないし、美術館にさえ行ったことがないという。
その後「絵画を300点制作すれば、戦争が終結し、世界平和が戻ってこよう」という神秘的な声を聴く。最後の絵を描きあげたのは1945年5月7日、ちょうどドイツが降伏した日だったと彼は語る。 ルサージュ同様、神秘的でシンメトリックな絵画を多数つくったが、彼の場合、方眼紙の罫にしたがって点と点を結ぶという手法で寺院の柱廊や破風などを描き、これが効果を生んでいる。
作品はこちらで一部見ることができます。
参考文献 : 『シュルレアリスムと絵画』に収録されたアンドレ・ブルトン1954年のエッセイ
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