|
1929年、ウィーン近郊のバーデンに生まれる。1949年、ウィーンアカデミーに入学するも3日で退学、シュールレアリスムやウィーン幻想派に夢中になり、オートマチック・ペインティングの実践などを行う。
1951年、エルンスト・フックス(Ernst
Fuchs)やアリク・ブラウア(Arik Brauer)らとフンドスグルッペ(犬集団)を形成する。パリに旅行してアンドレ・ブルトンに会うが失望し、むしろデ・クーニングやジャクソン・ポロックなどの作品が展示された「激情の対決」展に惹かれ、幻想的シュールレアリスムへの興味をs失ってアンフォルメルに走る。1950年代半ばから60年代前半にかけて、自分の絵や他人の絵の上にアクションペインティングを施す「オーバーペインティング」を制作する。
1960年代の初め頃よりアウトサイダーアート作品のコレクションを始める。『パラレル・ヴィジョン』所収のマーク・ギズボーン論文によると、チェコの女性と結婚し、チェコ国内の精神科医院が保管していたアウトサイダーたちの作品や病気に関する記録や写真などを入手したほか、プラハやブダペスト、ワルシャワに赴いて当地の精神科医院に保存された作品を見ていった。もはや彼の関心は、アンドレ・ブルトンの自動書記やアール・ブリュットから、中欧における神秘主義と表現主義が結びついた伝統に移っていた。彼は「良い芸術家であるためには、少しは精神病質でなければならない。さもなければ理論が先走ってしまう」と述べている(マーク・ギズボーンの論文)。
1964年頃から幻覚剤の使用をはじめる。1966年、ローザンヌ大学精神病院、表現病理学研究センターにアルフレッド・バーダーを訪ね、マジックマッシュルームのシロシビンの効果によって精神病を擬似体験する中で作品を制作する実験を行った。ライナーは制作不可能なほど混乱にきたしたため、精神病芸術家への賞賛は増した。
1967年、論文「美と狂気」を著し、カタトニック(緊張型精神分裂病)の顔の表情にあらわれる物真似への関心について考察する。
アルフレッド・バーダーの友人であるレオ・ナヴラティルを通してヨハン・ハウザーとの同時制作を試みる。ライナーは継続して二人展を行うことを望んだが、ハウザーはこれを拒否した。
|