パウル・クレー (Paul Klee)
ミュンヘンブーフゼー(瑞) 1879年生 ― ロカルノ=ムラルト 1940年没

 【略歴】
1879年12月18日、ベルン郊外の村、ミュンヒェンブッフゼーに生まれる。父親のハンスがドイツ人だったため、ドイツ国籍。音楽家を多く輩出した家柄で、父親も学校の音楽教師だった。
 4歳の頃、親戚の経営するレストランで大理石のテーブルに魅せられ、その複雑な縞目模様を観ているとグロテスクな幻想に囚われる。「これは私の奇異(ピガール)なものに対する生まれつきの好みを示すものだ」と後年、本人が日記に書いている。
1898年、芸術アカデミーで絵を学ぶためミュンヘンに移るが入学できず私立芸術学校で学ぶ。
1900年、10月より芸術アカデミーのフランツ・フォン・シュトック(1863-1928)の絵画教室に参加。
1903-05年、ベルンの両親と同居、エッチングのシリーズ「創案」。(「樹のなかの処女」、「翼ある英雄」など) ロジャー・カーディナルによると、すでにこの頃の作品に精神病患者の芸術の影響がうかがえる。
1906年9月、1900年頃に知り合った医師の娘、リリー・シュトンプとベルンで結婚。その後、ミュンヒェンに移り住む。
1911年、1月にアルフレート・クビーンと知り合う。秋にアウグスト・マッケやカンディンスキーと知り合う。青騎士会は結成当初よりプリミティヴ・アートや子供の描画、精神病者の芸術作品に強い関心があった。クレーは第1回「青騎士会」展について、スイスの月刊誌『ディー・アルペン』に以下のように綴っている。
「……子供たちが指導されないままであればあるほど、彼らが我々に与えてくれるものは有益なのだ。子供が現存の芸術作品を吸収し始めたり、それを模倣し始めたりするとすぐに、堕落がすばやく入り込む。同じことが精神病の患者の作品においても言えるのであり、またそれ故にこの[新しい芸術]の性格を不当に貶めようとするならば、”精神異常の”という言葉もまた避けなければならないのである。……」
1912年、ゴルツ画廊における第2回「青騎士会」展にて展示。翌13年、ベルリンの前衛グループ『シュトルム』の展覧会に出品。
1916-18年、ドイツ軍に召集されるが、後方勤務のため絵画制作は続けられた。しかし、1914年に親友マッケが戦死、1916年にマルクが戦死して衝撃を受ける。「この世界が怖ろしくなればなるほど、芸術は抽象的になる」と日記に記している。1918年に多くの作品を制作。
1919年、画商のゴルツと契約を結び、翌20年にミュンヘンで大々的な回顧展が開催される。これによりクレーの名は国際的にも知られるようになる。10月にワイマールのバウハウスより招待を受ける。
 この頃プリンツホルンが精神病患者の芸術性について行った講演を聴講し、夢中になる。
1922年、モスクワから戻ってバウハウスに参加したカンディンスキーと親交を結ぶ。
1923年、「マジックスクェア」と呼ばれる四角形の色面をリズミカルに組み合わせたコンポジションを始める。美術批評家のヴィル・グローマンは、同じ23年にシェーンベルクが12音主義を発表したことを指摘し、両者の間に交流があったと論じている。
1924年12月、ワイマールのバウハウスが閉鎖。翌25年春、デッサウにおいてグロピウス設計の新校舎で再開。
1926年、パリのシュルレアリスム第1グループ展に参加。
1931年、 バウハウスに対する政治的圧力など不穏な空気に嫌気が差し、講師を辞してデュッセルドルフの美術学校の教授に転じる。翌32年にデッサウのバウハウスが閉鎖。
1933年、ナチス政権樹立とともに、クレー排撃の風潮が高まり、年末にスイスに戻る。
1936年、進行性皮膚硬化症の悪化。
1937年、ミュンヘンの『頽廃芸術展』に17点が展示され、ドイツ国内の公的コレクション内のクレーの絵107点が没収される。
1940年5月10日、ロカルノ近郊のオルソリナ療養所に入院、その後さらに病状が悪化し、ムラルトのサント・アグネーゼ医院に移送、6月29日に永眠。スイス国籍を取得しようとしていた矢先だった。7月4日にベルンで告別式。
1942年、遺骨がショスシャルデン墓地に葬られる。石碑には次のような日記からの引用が刻まれている。
「私は純粋に地上の言葉では理解されないであろう。なぜなら私は死者やまだ生まれぬものとも幸福に生きることができるからである。あらゆる創造の真髄につねよりもやや近づいたようである。しかしまだ十分に近いとはいえないのである」

 参考文献:『幻想画家論 (1972年)』 瀧口修造(著)

クレーをもっと知るための本:

  『クレー』 ダグラス・ホール(著) 前田富士男(訳) 西村書店 (2002/10)

  『パウル・クレーの芸術―その画法と技法と』 西田秀穂(著)  東北大学出版会 (2001/06)
 
  『クレーの天使』 パウル・クレー, 谷川 俊太郎 講談社 (2000/10)
 
  『パウル・クレーの芸術』西田秀穂(著)

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