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【略歴】
1891年4月2日、ブリュールで聾唖学校教師のフィリップ・エルンストとその妻ルイゼとの間に生まれる。
1897年、姉のマリアの病死に強い衝撃を受ける。同じ年、はしかで熱にうなされている間、模造マホガニーの鏡板の木目から眼球や鼻、鳥の頭などが次々に現れる幻覚にとらわれる。以降、たびたび壁紙や粗壁を凝視して幻覚を引き起こす。
1910年、ボン大学哲学科に入学。この頃、近くの精神病院を訪れ、精神病者の芸術に興味を抱きはじめる。当時ボンの近郊にはパリのサン・タンヌ病院に似た、患者が自由に創作活動ができる精神病院があった。彼は患者たちがパンで作った人物像やドローイングを見て感銘を受けた。翌年アウグスト・マッケと知り合う。
1913年「ラインの表現主義者展」「第1回ドイツ秋のサロン展」に参加。1914年、ハンス・アルプと交友がはじまる。1914年から18年にかけて砲兵隊員として従軍。塹壕で2度、砲の反動により頭に強い打撲傷を受ける。後年、生い立ちを記した記録の最後に「マックス・エルンストは1914年8月1日、ついに死亡した。そして1918年11月11日、魔術者となって時代の神話を見出そうと願う1青年として再生したのである。かつてかれが生まれる前に母親が託したかれの卵を7年間暖めてくれた鷲が時折かれのよき相談相手となってくれた。この時の忠告がしばしばかれの作品に見出されるであろう」と書いている。(『幻想画家論
(1972年) 』
瀧口修造(著)より)
但し、戦争の間にも16年にシュトルム画廊で、17年にチューリッヒのダダ画廊で展示会が行われている。
この頃、チューリッヒをはじめとしてヨーロッパ各地で反芸術、反合理主義を標榜するダダイズム運動が勃発。ケルンではラインランド共産党のヨハネス・バールゲルトがダダ的な運動を開始しており、彼が創刊した雑誌『通風機』(ベンチレータ)にエルンストも論文や詩を寄稿していた。
1919年、最初のコラージュ作品を制作。彼の著書『絵画の彼岸』によると、初めてコラージュを発見したきっかけは「人類学や顕微鏡学、古生物学などの教材入りカタログを眺めていると、さまざまな無関係のイメージが執念深くつきまとってきて結合しあい、烈しい幻覚が生じた」からだという。アルフレート・グリュンヴァルトと「ケルン・ダダ」結成。11月にはバールゲルトと共に、過激集団Dと称してダダの展覧会を開く。この展覧会ではダダの作品のほかにアフリカの彫刻や児童画、素人の作品、精神病者の作品が展示された。D会報なるダダ機関誌を発刊。
1920年、「シャムマーデ」(「恥」と「蛆」を結合させた造語)なるダダ機関誌を発刊。フランスでダダイズム運動を始めていたアンドレ・ブルトンやルイ・アラゴンらも寄稿。同年、エルンストのコラージュ作品展がパリで開かれ、ブルトンの序文で紹介される。
1922年、パリに移り住む。このときブルトンらにプリンツホルン『精神病者の芸術性』を紹介した。1925年、最初のフロッタージュ作品を制作。第1回シュルレアリスム展に参加。
1925年頃からフロッタージュの手法を創出。
1929年『百頭女』刊行。翌年ルイス・ブニュエル監督の『黄金時代』に参加。ロプロプシリーズ開始。
1936年、NYで開催された幻想絵画、ダダ、シュルレアリスム展に48点を出品。翌年、ミュンヘンの『頽廃芸術展』に『美しき女庭師』が晒される。
1937年、ロンドンでレオノーラ・カリントンと交際を始める。すぐに離婚し、カリントンとサン・マルタン・ダルディッシュで暮らす。
1939年、独仏戦争が始まると、同じドイツ出身のハンス・ベルメールと共にエクス・アン・プロヴァンスに近いミルの収容所に抑留され、煉瓦工場で強制労働に従事する。翌40年に休戦協定によって解放され1941年渡米し、ニューヨークに滞在した後アリゾナ、ニューメキシコ、カリフォルニアを旅行。この年ペギー・グッゲンハイムと結婚。NYに住み、アンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャン、デイヴィッド・ヘアとともにシュルレアリスム雑誌「VVV」を刊行。
1946年、ドロテア・タニングと結婚し、アリゾナ州セドナに落ち着く。48年米国市民権取得。
1950年、渡米後はじめて欧州にもどりパリで仕事を行う。(53年よりパリに移り住む。)
1955年、第1回ドクメンタに出品。ビエンナーレ国際展で受賞したことから、シュルレアリスト・グループから除名される。
1956年ベルリン芸術アカデミー会員に任命される。1958年、フランス国籍を取得。62年テートギャラリーで回顧展。63年よりドロテア・タニングとともに南仏セイアンに移り住む。69年〜70年にかけてストックホルム、アムステルダム、シュトットゥガルトで回顧展。1975年、NYのグッゲンハイム美術観にて回顧展。
1976年4月1日、パリの自宅にて死亡。
参考文献:『幻想画家論
(1972年) 』
瀧口修造(著)ほか
澁澤龍彦は「生前、ピカソはカメレオンのように変貌すると言われたが、じつのところ、ピカソの絵には一貫性があることに気がつくのである。むしろエルンストの画業こそ、最後まで変貌に変貌を重ねたものだった。晩年には色彩の放蕩にふけったが、高貴なペシミズムとユーモアの基調を決して失うことがなかった」と語っている。
『洞窟の偶像―澁澤龍彦コレクション
河出文庫
』より
マックス・エルンストについてもっと知りたい方は、以下の書籍をお求めください。
『マックス・エルンスト 現代美術の巨匠』
ペル・ジムフェレール (著), 椋田 直子(訳)
『マックス・エルンスト』
ローター フィッシャー(著) 宮下 誠 (訳)
『百頭女』 マックス・エルンスト(著)
『慈善週間または七大元素』 M・エルンスト
(著), 巌谷 国士(訳)
Max
Ernst: A Retrospective (Metropolitan Museum of Art Publications) Max
Ernst
Max
Ernst: Life And Work : an Autobiographical Collage
Werner Spies
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