ヘンリー・ダーガー (Henry J. Darger)
シカゴ(米) 1892生 ― シカゴ(米) 1973没

 シカゴで生まれダーガーは4歳になる直前に母親を亡くし、父親一人に育てられたが、その父も身体に障害をきたしたため、8歳でカトリックの少年施設に送られた。しかし、知的障害があると誤診されて知的障害児のための施設に移される。
 1909年、19歳のときにダーガーは父親の死を知って施設を逃げ出す。結局市内の病院で清掃や皿洗い、包帯巻きをして生計を立てる。その後1973年に81歳で亡くなるまで、彼は天涯孤独の人生を送った。
 ダーガーの死後、家主のラーナー夫妻は、彼の部屋を明けて思わず驚嘆した。そこには宗教にまつわるオブジェやガラクタのほかにタイプライターで打たれて稚拙に装丁された本が7巻、紐でくくられた手書き原稿が8束、長いもので3メートル以上もある巻物状になった水彩画の挿絵、メモ類やスケッチや計算表などが山と積まれていたのだ。1万5千ページ以上に及ぶ叙事詩は「非現実の王国における、ヴィヴィアンガールズの物語、あるいは子供奴隷の反乱に起因するグランデコ対アンジェリニアン戦争と嵐の物語」と題されていた。通常なら廃棄されるところを、芸術家で優れた教育家でもあったネイサン・ラーナーはその価値をじゅうぶんに理解し、ダーガーの部屋を当時のまま保存した。(以上、参考文献:、『芸術新潮 93年12月号』

 以上がアメリカで最も重要なアウトサイダー・アートの作家、ヘンリー・ダーガーの簡単な略歴と作品発見にまつわるエピソードである。注目すべきは彼の描いた「物語ワールドー妄想ワールド」の壮大なスケールとボリュームである。これについてはヴェルフリの前例がある。ヴェルフリの作品世界もきわめて興味深いが、そこに攻撃やゲームの要素は少ない。ダーガーの世界には他者に対するくめどもつきぬ激しい思いがある。コミュニケーション過剰な現在において、数十年にわたる孤独な生活を補完しためくるめく妄想とその肉化作業の果実は、類まれなる人類の秘宝である。職業画家だけでなく職業作家の多くが、ダーガーのこの長期に及ぶ創作活動に震えおののくことだろう。これこそが名声や職業意識を前提とせずに書かれた/描かれた作品の凄み、アール・ブリュットの凄みだ。(「職業意識」がないからスゴイ作品ができるわけでないことは言うまでもないが)。



 なお、ダーガーのドキュメンタリー映画が2006年に日本で公開されるそうです。監督は1997年にアカデミー賞(ドキュメンタリー部門)を獲得したジェシカ・ユー。ダーガーの絵をアニメ化しているそうです。乞うご期待
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